伝説的コンプレッサー/リミッターFairchild 660 & 670に関する記事意訳です。
開発されるまでの経緯や現代における活用方法の紹介に加え、その長い歴史の中で付随してしまった誤解も払拭することを試みます。
Sound On Sound 2016年5月号掲載記事より抜粋、意訳
導入
1959年にリリースされたFairchild 660/670は、おそらく世界でもっとも崇められ、コピーされたコンプレッサーだろう。
しかし一体何が特別なのか?
一般に多くの「伝説」がそうであるように、Fairchildが築き上げた地位そのものが、真実を歪め誤解を生んでいる部分もある。
歴史の中で置き去りにされた機器が無数にある中、Fairchildが特に重宝される理由のひとつは、そのキャラクターが現代でも通用するためである。また、正しい使い方を知っていればスタジオツールとしてもまだ十分に「使える」機材でもある。
この記事は、実像からフィクションを切り離すことを目的とする。
起源
設計者のRein Narmaは、エストニアにルーツをもつ米国人エンジニアだった。キャリア初期には、Ruby Van Gelder、Les Paulといった面々のためにミキシングコンソールを制作しており、彼らからのインプットがFairchildの設計に何かしらの影響を与えている可能性がある。
Fairchildは、このNarmaをリード・エンジニアとして、Fairchild Equipment Corp.の下で製造されることになる。
Fairchildは元々、最小限の色付けで最大限のゲインコントロールを得るべく開発された。当時のエンジニアのほとんどは原音に忠実な録音を行うことを志向しており、コンプレッサやEQさえも、現在のように色付けやグルーヴ作りの道具として見られることはなかった。
コンプレッサは、大抵はラジオの送出機やレコードのカッティングマシンに過負荷がかかることを防ぐという、どちらかというと回路保護を目的に使用されていた。Fairchildとて例外ではない。
さらに、Fairchildが製造されたのは、ステレオレコードが登場した時期でもある。それまでのモノラル収録と比べて情報量が2倍になると、レコードの収録時間を延ばすためにレベルを緻密にコントロールすることが、それまでに以上に重要となった。
また、FairchildはM/S処理機能を備えており、これがモノラル互換性を保ったマスタリングを行う上でも重用された。(Fairchildには元々、そのような用途を想定してM/S機能が実装されている)
そのような経緯もあり、Fairchildはもともと放送用のリミッターとして売り出され、1,000台ほどが販売されている。独立系のレコーディングスタジオや放送局が台頭してきたのが1950年代後半であり、スタジオ機器の需要自体が現在より少なかったことを考えると、当時としては大成功であったといえる。
その後60年代に録音技法が進化し、エンジニアが積極的に音作りを行うようになってくると、Fairchildが再評価されるようになる。アビーロード・スタジオでFairchild 660が多用されていた記録は多く残っている。それらのユニットは、ビートルズのほぼ全ての録音で使用されている。
1964年「Hard Day’s Night」以降のほぼすべてのボーカルはFairchildを経由している。また、リンゴのドラムの音作りにも重要な位置を占める。これらビートルズの作品に使用された実績が、その後世界中のスタジオがFCを導入するきっかけとなる。
技術面
「色付けのないピーク・リミティング」「可能な限り原音に忠実な処理」といった設計目標は、現代においてはそれほど魅力的には聴こえないかもしれないが、半世紀前には複雑な回路設計を要した。Fairchildは20本の真空管と30のシステム、11のトランスから成る。6U筐体の重量は30kgとなる。
この頃に設計された機器の多くがそうであったように、上記のようなパーツのほとんどはゲインコントロールに使用され、実際の音声信号が通過するわけではない。
(訳注:真空管の動作に関する説明は割愛)
このように複雑な設計は、正確なキャリブレーションを要する。Fairchildの取扱説明書が推奨する30分のウォームアップ時間は、一般的な真空管機器と比べても長い。このような独特の設計のため、メンテナンスや補修はいつの時代も容易ではなかったし、また年々困難になっている。
Fairchildは6386管の消費ペースが早いと言われている。同管のオリジナルはかなり以前に製造中止となっており、新古品も希少となり高値がついている。
JJ Electronicsにより同等品は製造されているが、これがオリジナルと同等に機能するかどうかの議論はいまも続いている。
(訳注:プリセット…ここではAttack/Relaseを選択する6つのモードについての説明は割愛。各種エミュの取説でも繰り返された話と思われるので)
もともと回路保護を目的としていただけあって、不要なピークを除去できる速いアタックタイムはFairchildの最も重要な特徴であった。
さらに、ボーカルのシビランスや耳に痛い音、強すぎる子音なども抑制できるという副次的な用法が後に発見されることになる。
設計が独特であるためサウンドに影響を及ぼす要素は他にも多くあるが、それらのどれかひとつがFairchildのキャラクターとなるわけではなく、一つ一つが積み重なることで、ビートルズの録音でも聴かれるような豊かでスムーズなボーカル・サウンドを形作っている。
最も速いリリースタイムである300msは現代でも通用する。興味深いことにリリースタイムが最も早い2つのプリセットは、ポップスの制作を想定して設計されていた。また、続く2つのプリセットはクラシック用とされた。
現代においては多くのエンジニアが最も速いプリセットを愛用しており、スタジオで現役の個体は大抵プリセット1番に設定されているのが見られる。
このように、Fairchildはたいてい短いアタックと、長めのリリースを組み合わせて使用される。これはピークを抑制しつつ、放送やカッティング時にポンピングが生じることを防ぐ上で重要であった。今日においても、この特徴がFairchildの個性として知られている。
その他の特徴としては、フィードバック型の設計と、それによって得られるカーブが挙げられる。ヴィンテージのダイナミクス・プロセッサの多くがそうであるように検知器はゲインステージ以降の信号を参照する。これにより信号レベルが安定し、コンテンツの性質に応じたレベルコントロールが行なわれる。
また、Vari-mu式コンプの特徴としてカーブはソフト・ニーとなる。小さなピークではレシオは2:1程度までとなり、入力レベルに応じて20:1まで上がる。このカーブは内部のトリムポットで調整可能であり、よりハードニーに設定することもできる。
現代における用途
これまでみてきたように、Fairchildの特徴は短いアタックタイムと長いリリースタイムにある。これは、なるべくサウンドに影響を与えずにトランジエントを抑制したい場合に有効であることを意味する。1176のようなアグレッシブなサウンドは、Fairchildの長いリリースタイムでは到底望むことはできない。
プリセットの1番は、ボーカルのトラックやバスに最適である。適しているどころか、FCのサウンドが最も輝くのはこのような場面だろう。
Fairchildはもともとステレオバスの処理を目的として設計され、またそれを実現することで大役を果たしてきたが、一般的なポピュラー音楽が使用する周波数帯は、50年代、60年代に比べると、ずいぶんと拡張された。
現在見られるような、ファットでアグレッシブな低音(クラブミュージックに限らず、一般的なポップスにみられる程度でさえ)のレベルは、Fairchildの設計当時は一切想定されていなかった。よって、Fairchildやこれのコピー(実機/ソフトエミュを問わず)をバスに使用する場合は細心の注意を要する。
一般的にバスコンプを使用する際、低域のトランジエントが抜けてくるようにするには10~120msといった長めのアタックタイムが必要になる。逆にトランジエントを切る目的であれば、Look ahead機能などを搭載した現代的なデジタルコンプの方が優秀な働きをする。
FCは当時の現場においては、現代におけるBrick Wall Limiter的な位置付けであった。この知識が災いして、現在においてもFairchildが優秀なバスコンプだろうという思い込みは、おそらく同機にまつわる最も大きな誤解だろう。
とはいえ、実際にFairchildをバスコンプとして使用してみた結果がよかったのであれば、なにもその選択を否定するつもりはない。しかし、低域のパンチが利いた現代的な素材などを対象とする場合、Fairchildほどバスコンプとして不適切なものはないだろう。
素材の性質がこの限りではない場合(ホーンセクション、鍵盤、ボーカルバスなど)、Fairchildのようにほとんどリダクション無しに各パートをまとめ上げる力は、他の機種では得られない。また、Fairchildの真空管とトランスを経由した信号は、一段と立体感が加わる。
訳注:以降、現代入手できる実機/プラグインの代替品の紹介。
以上、意訳ここまで
近頃はプラグインとしては後発のOverloudのComp 670がアナログ感抜群と人気のようで…
その他、Fairchild系エミュレーションをお使いになる際などのお役に立てば幸いです。