原文:“What is Mastering?” by Ian Shepherd
以下は、原著者の承諾を得て上記ページを翻訳したものです。
CDやDVDのためのマスタリング技法は、ヴァイナルをプレスするためのカッティング工程が進化したものであり、多くのコンセプトが共通します。しかし、それらは具体的にはどんなものでしょうか?
下記は、マスタリングに関する定義の一部です。
- 複製元となるマスターを作る
- 音色とレベルのバランスを最適化する
- 経験豊富かつ中立的な第三者の視点を活かす
- 曲をつなぐ
- ミックス時における重大な問題に対処する
- 音楽を可能な限り際立たせる
- ファxXン・ラウドにする!!
さて、以上のどれが正しいでしょうか?
すべてがある程度正しいといえば正しいのですが、説明の正確さはまちまちです。最後のひとつだけを除いて…
私の好きな説明は次のようなものです。
「マスタリングとは、寄せ集めた楽曲をアルバム(*)にまとめる技術」
*アルバムに限らず、シングルでも、コンピレーションでも、PodCastでも、カタログでも…
これを成すためには、複数のテクニックが投入されます。この中には、元の素材から最適なマスターが作られていることを技術的に保証することのほか、次のような作業が含まれます。
レベル調整
これにはたいてい、コンプレッサーやリミッターが使われます。
EQ
自然でバランスのとれたサウンドを作るためにイコライジングします。広義には、低域や高域の量を適正にする作業ですが、これよりも細かい作業を含むこともあります。たとえば、不自然なレゾナンスや特定の帯域に累積する成分などを除去し、ミキシング中に生じた聴感上の問題点を改善します。よくある具体例としては、エアー感やパンチを加えたり、ギターのエッジ感を出したりします。
問題の修正
たとえば、クリック、ポップ、地鳴り、バズ、ハムなどを除去します。
音のレストレーション(復元)
通常はヴィンテージ級の古いマスターに対して行われるもので、ヴァイナルのクリックやヒス、歪みなどを除去します。
ステレオ音像の調整
これは比較的まれですが、ステレオ音像を広げたり、リバーブを加えたりします。
これらのどれが必要になるかは、アルバム次第、あるいは楽曲次第です。大手術を要するものもありますし、過去には少数ながら、なにも手を加えずコピーしたものもありました。後者の場合、私がアルバムをマスタリングしたことになるのでしょうか? 答えは「Yes」です。なぜなら、私は専用のスタジオと抜群のモニターを通して注意深く音を聴き、私自身の耳と経験を活かして、なにも処理を加える必要がないと判断したからです。より正確にいうと、このようなケースに遭遇する場合はたいてい、ものの数分も聴けば事態を把握します。またこの場合はアーティストに連絡し、素材をそのまま使用する(Direct Transfer)ことを提案します。これにより、アーティストは本来必要ない作業に、本来必要ない費用を支払う必要がなくなります。アルバムの1曲、2曲程度に対し、なにもしないという判断をすることは、マスタリングにおけるその他あらゆる処理をすること決定するのと同じぐらい正当な判断です。
それでも、混乱や議論が生じる余地はたくさんあります。
マスタリング・エンジニアは次のことをすべきでしょうか?
- 処理は最小限にとどめ、元の素材を可能な限り維持する
- アーティストのビジョンが損なわれないようにする
- 素材が「本来あるべきだった姿」になる妨げとなるものを取り除く
- 素材のダイナミクスとインパクトを維持する
- EQとコンプレッションによりレベルを大きく上げる
- マスタリング・エンジニアのトレードマークを織り込む
ここでも、私が正しいと思うのは「最後を除くすべて」です。これは一見すると、相反する考えにみえるかもしれません。これらの要件を同時に満たすと、どこかで矛盾が生じるのではないでしょうか?
そうでもありません。その理由を説明するには、普段あまり語られることがない、マスタリング・エンジニアのスキルである「直感」について述べなければなりません。私が楽曲に取り組む際、たいていの場合、数分、あるいは数秒も聴けば、アーティストやミキサーが「どこに向かいたかったのか」を聴きとることができます。また、そこにたどり着くために協力することが自分の仕事であると考えます。そのための処理が最小限で済めばそうしますし、それでだめならキッチンの流し台でもなんでも、必要なものは投入します。その上で、元の素材に忠実であるようにします。
これに関していえば、レベルとコンプレッションにまつわる議論は好例です。現在、多数のリミッターやコンプレッサーが、プラグイン形式で簡単に入手できます。しかし、これによりサウンドが損なわれると文句をいう人も大勢います。マスタリング・エンジニアは類似のツールを使いながら、音を良くするのだと主張します。これらが両立できるのはなぜでしょうか?
理由のひとつは、厳密には道具に違いがあるからです。マスタリング・スタジオは通常、たった1台のコンプレッサーに数千ポンドを出資します。それだけの資金があれば、代わりに完全なプラグイン・スウィートが買えます。しかし、それだけではありません。我々マスタリング・エンジニアは常に、これらの道具をトランスペアレントに使用する技術を磨き、それらが効果的に機能しているときにそうとわかるようなモニタ環境の構築にいそしんでいます。ある意味において、マスタリング・エンジニアのスキルとは、すべての楽曲が適正なレベルであるようにすることです。その過程ではダイナミック・レンジを圧縮することもありますが、それでいて聴感上はむしろダイナミクスが増したように聴こえさせます。あるいは元の素材の根本的な方向性を変えずに、大きくEQを調整することもあります。
ここまでの説明を聞けば、今度は次のような疑問が沸くかもしれません。
それほど軽微な調整で済むこともある作業に、わざわざお金を出す価値はあるのか、と。この問いへの答えはいくつかあります。
たいていの場合、実はそれほど軽微でもないのです!私が仕事に取り組む以上、マスタリング後の楽曲は、単純に元より良くなります。それも、元の素材の良さはすべて残した上での話です。
マスタリング前後の変化が軽微な場合、その違いはレベル・マッチングした際にこそわかりづらいものです。楽曲のレベルを適切な「スイート・スポット」まで上げながら、限度を越えないことの重要性は、いくら強調しても足りません。アルバム中のすべての楽曲に対してこれを行い、さらに互いのバランスも完璧にとれている状態にすることはもっと重要です。この作業は最大限の配慮とスキルを必要とし、プラグインによってレベルを押し上げただけで成しえることではありません。
理想としては、違いは軽微で「あるべき」なのです。真によくできたミックス・マスターは、最小限の調整しか必要としません。しかし、こういったわずかな調整ですら、適切に重ねていけば、アルバム全体に「収録曲の単純な総和」以上の価値をもたらします。
この文章をタイプしている間にも、マスタリングという業務が内包する矛盾について考えさせられます。作業者は徹底して【謙虚】であることが求められます。すべての案件は楽曲を聴き、それのどこがいいのかを考えるところから始まります。次に、おそらく誰かが数週間、あるいは数ヵ月もかけ、血と汗を流しながら完成させたミックスに、【傲慢】にも手を加えます。
また、技術への深い造詣を必要としながら、下される判断の多くは美的感覚にもとづきます。壊れていないために放置すべきものを見抜き、逆に腕まくりして手を汚すべき場面を見極めます。
マスタリングとはなんでしょうか?
このブログが理解に役立ちましたでしょうか?
私にはわかりません。