ローカットすると信号がクリップするのはなぜ?

音声信号がフィルタを通過すると、場合によってはピークレベルが増加し、ときにはクリップすることさえあります。これはなぜでしょうか?

初学者であれば、信号からエネルギーをカットすることによりピークレベルがむしろ上昇することが不条理に思われるかもしれませんが、これはフィルタの異常動作でなければ、ましてや珍しいことでもありません。

このエントリは、Sound On Sound誌のサイトに公開されている同テーマの記事を元にしています。ネタ元ではQ&Aコーナー向けにコンパクトに書かれており、ややスパルタな感が否めませんでしたので、本稿では初心者にもわかりやすく掘り下げて説明することを試みました。

ネタ元
Q. Why do my mixes clip when I apply a high-pass filter?
Sound On Sound誌 2005年12月号より

フィルタによりピークが上がる3つの理由

ローカット、あるいはハイパス・フィルタを使用することによりピークレベルが増加する原因は、主に次の3つが考えられます。

理由1:
成分ごとのレベルが変わるため

信号を構成する最小となる成分(正弦波)は、その重なり方によってはそれぞれが互いのピークを引っ張り合い…いわば山や谷と谷で相殺しあい、全体のピークレベルを下げます。そのように干渉しあう成分の一方をフィルタでカットすることにより、ピークが増大することがあります。

百聞は一見にしかず、実際に個々の成分が全体にどのように影響するかを見てみましょう。

次の図は、100Hz、200Hz、300Hzの正弦波と、それを混合したもの(sum)です。

ご覧のように3つの信号を合成した波形はプラス、マイナス側ともにフレームの範囲内に収まっています。

次に、同じ状態で100Hzの信号をミュート(フィルタされた状態に)してみましょう。

ご覧のように、合成波はレベルオーバーを起こします。

各成分のピークが重なるところに注目すると、それぞれが引っ張り合ったり、引っ張るものがなくなることにより増大する様子を感覚的におわかりいただけるかと思います。

このように単純化されたモデルに限らず、実際の楽曲中においても、フィルタやEQのカットにより一部のピークが増大することはよくあります。

理由2:
倍音間の位相関係が変化するため

信号のピークレベルが、それを構成する各成分の山や谷の重なるタイミングによって変化することは先ほどご覧いただいたとおりです。

先の例では成分のレベルだけを変化させましたが、レベルが変わらなくてもタイミング(位相)を変化させるだけでも同様に、合成波のピークレベルに影響が及びます。

下図では、先ほどと同じように100Hz、200Hz、300Hzの3つの信号を合成しています。

左右とも各成分のレベルは同一ですが、それぞれのタイミングを変えることで、合成波がレベルオーバーする場合と、しない場合があることがうかがえます。

フィルタやEQを使用すると、特定の周波数のレベルが変わるだけでなく、作用する周波数付近の信号のみ遅延し(位相が変わり)、これによりピークレベルも変化することがあります。

たとえば40Hz以下の信号成分をほとんど含まない楽曲に対して、ハイパスフィルタで40Hz以下の信号をカットする場合を考えてみましょう。全体としてのエネルギーはほとんど変わらないかもしれませんが、カットオフ周波数付近の成分にこのような遅延が生じることにより、ピークレベルに影響を及ぼす可能性は十分に考えられます。

なお、いわゆるMinimum phase方式と呼ばれる旧来のEQ/フィルタを使用した場合よりも、リニアフェイズ方式のEQ/フィルタを使用する方が、少なくともこの「理由2」によりピークが上がる可能性は低くなると考えられます。(とはいえ、これ自体は積極的にリニアフェイズEQを使用する理由にはなりません。この点については、いずれまた次の機会に…)

余談ですが、このように特定の成分の位相だけを変えることにより、次のような効果を積極的に作り出せる場合もあります。

  1. 各倍音成分のエネルギーはそのままに、ピークレベルを下げる
  2. 各倍音成分のエネルギーはそのままに、ピークレベルを上げる
  3. プラス/マイナスのピークレベルが非対称な信号波形を、より上下対称にする

一般に音色は倍音の割合で変わると言われますが、このように成分ごとのレベルを変えず、位相とピークだけが変わることによる音色変化は生じないのか?…という点につきましては、過去に書いた記事をご覧いただけますと幸いです。

理由3:
カットオフポイントがブーストされる

おそらくシンセサウンドなどをフィルタでスウィープされる方にとっては日常茶飯事であり、さほど説明を必要としないでしょう。むしろ「フィルタでレベルが上がる」と聞くと、こちらを想像されるかもしれません。

EQやフィルタの中には、Qを高めに設定した際にカットオフ周波数付近を大きく増幅させるものがあります。このようなフィルタを使用した場合、ピーク/RMSともに、減衰するどころか元よりも上がる場合があります。

マスタリングの文脈においては関連が薄いかもしれませんが、上図のようなレゾナンスをもつフィルタでは、当然ピークレベルだけでなく、RMSも増大する可能性があります。
Scroll to top