ゲイン・ステージングとは?

昨今は音楽配信プラットフォームに関連して、マスター音源のラウドネスや音圧に関する話題をよくみかけるようになりました。しかし、そのマスターが完成するまでの途中過程…たとえばマイクでの収音時や、2mixやステムといった、さらに編集が加わることを前提とした素材をファイルへ書き出す時、その他DAW内の信号経路などにおいては、どの程度の信号レベルが適切なのでしょうか?

アナログ機器においては、適切とされる信号レベルが存在します。たとえば機材であれば回路を構成するパーツは、ある一定以上の信号レベルによって大きく信号が歪むことがあります。録音媒体でいえば、テープも同様に過大入力により信号が意図しない歪み方をする場合があります。かといって信号レベルが低すぎると、今度は楽曲がヒスノイズに埋もれてしまいます。

いうなれば、「ある範囲よりも信号レベルが大きければ、機器の回路、あるいは録音媒体の物理特性により信号が歪んでしまう。しかしながら過度に小さければノイズに埋もれてしまう」という両端を天秤にかけて、アナログの適正レベルは設定されています。

一方、デジタル領域で音声信号を扱う場合、上記のような制約の大部分から解放されます。特に近年のDAWやデジタル・ミキサーがそうであるように、信号処理にfloatやdoubleといった浮動小数点数が使用されていれば、信号レベルが極端に大きかったり小さかったりする場合でも、信号品質に影響はありません。よって、音声をアナログ信号に変換するまでの段階で一定の範囲内にレベルが戻っていれば問題はありません。

そういったDAW内の信号レベルに関しては、厳密なルールこそないものの「ベスト・プラクティス(合理的、あるいは能率のよい手法)」は存在します。本項タイトルの「ゲイン・ステージング(Gain Staging)」とは、経路や工程ごとの信号レベルが、基準となる一定の範囲内に収まるよう心掛けながら作業を行うことを意味します。

後に詳説するように、最終的にデジタル領域で基準とする信号レベルは各々が任意に設定できますし、ある程度仕組みを理解して運用すれば、基準値の異なるスタジオ間でデータをやり取りしても、あるいは基準レベルを一切無視しても、さほど大きな問題にはならないでしょう。

しかし、このようなワークフローやメソッドが不在であったがために、各工程を担う作業者自身も気付かないうちに音楽性を損ねてきた可能性があることは、近年、複数の著名エンジニア方も話題にしています。

使用するメータ

以降、本章に登場するレベルはすべて音声信号の実効値、すなわち信号のエネルギーに関するものです。これはおおよそ、DAWのディスプレイに現れる信号波形の面積、あるいは体感音量に相当します。この測定には、VUメータ、RMSメータなどを使用します。

一方、ピーク・メータは一切使用しません。瞬間的なレベルに関しては基本的にピーク・インジケータが点灯さえしなければよく、それが点灯して初めて問題対処のためにピーク・レベルを参照します。

すでにK-System(K-20)をワークフローに取り入れている方々にとっては自明でしょうが、以下で説明するメソッドもまた十分にヘッドルームを設けることを前提としますので、よほど特殊なケースでない限り信号レベルが0dBFS Peakを超える心配はありません。

共通する規定レベルは「0VU」

のちほどアナログとデジタルを個別に詳説しますが、結論からいいますとあらゆる場面で基本となる信号レベルは、

適正レベル (Nominal level)、または0VU

…となります。

ただし、少しばかり面倒なことに0VUは「適正」であることを示すに過ぎない相対的な値であり、それが指す具体的なレベルや物理エネルギー量は、ところ変われば異なります。これはシチュエーションごとに異なるという意味ではなく、文字どおり国が変われば推奨される基準レベルも異なる場合があります。

次のページから、なにをもって適正レベルとするかを、アナログ、デジタルと順にみていきましょう。

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